「そう」
私の意外な反応に、敷地は一瞬だけひるんだように気配が消えた。美弥都は首を回す。すると彼は、立ち上がってトイレに駆け込んでいった。小走り、乗務員が通路を駆け抜けて、ドアをノック。乗務員の機敏な動きに通路側の乗客が数人後方を振り向いて、事態の把握に努めた。そうまさに、危険に傾く前の不安を解消しているのだろう、美弥都は静けさを取り戻したつかの間を有効に利用、目をつぶり視界だけは現実と別れた。同時に窓のブラインドも下ろす。
「いやあ、参りましたよ。急にお腹を下して、ああ、失礼。配慮に欠けてますよね」敷地は大きくため息。「もしかして、寝てしまいました。残念だな、今日はあなたと会えたのが二番目の楽しみになると思っていたのに。仕事は無理やり午前中の会議をついさっきですよ、早朝に繰り上げて行ったものですから、ああ会議といってもネットとカメラで各地方の店舗に冬物の一掃処分と春物セールの開催日などを話し合って、もうくたくた。早起きは三文の徳って言いますけど、それだけ時間を使っているのです、当然の報酬。しゃべってるのは私だけのようですね、はい、黙りますよ。ええ……」
わずかに加速度が感じられる、方向が転換されているのも伝わる、体の側面と顔の一部を機体に押し当ててるためだろう。電車や車のように足元を伝う振動に進行方向への加速度を委ねていたのだと、美弥都は思う。それから、眠るつもりも無かったのに、美弥都は意識を失った。
目を開けると、ベルトのサインは解除されていた。トイレを利用する乗客が後方に歩いていく。
「ご気分はいかがですか?」良く見ると隣の人物は紙コップを手に持っていた。彼の座席にもコップは置かれている。
「まるであなたの飛行機みたいな言い方」
「やっとだ。いやあ、私は運が強い。あきらめるべきではなかったのです。感謝、感謝」宙に浮いたカップを男は見つめる、そして交互に私を覗く。美弥都は仕方なく、受け取って一息に液体を飲みの干した。水だ。
「警察と共に行動できるのって、探偵や一目を置かれた一般市民と相場は決まっている。小説でのセオリーですけど」敷地はカップと自分の存在の承認をいっしょくたに、都合よく纏め上げ、解釈をほどこしたようだ。経営者ともなれば、他所のリスクに目をつぶる、あるいはそれが目に付かないほどの盲目的な到達地点の景色を見られるのだろう、美弥都はクスリと笑った。