自作小説-ピンクパールは大雪にて
店を二、三軒訪問、お客に扮して店先で中の様子を伺う。種田が先頭。店の大半が、飲食風景を通路から確認できる。残りの店舗は、レジまで踏み込まないとわからない凝った造りだ。壁を無駄に水が流れ、笹と竹、それに暖色の照明。昼間でも覆った笹が暗闇を演…
店を出る種田に佐山の声がかかった。 「種田さん、一度聴取を受けたって頭に入ってますか?」多少声が荒い。上ずっているようにも取れるか、種田は佐山の態度を把握する。 種田はゆっくり振り返る。「目的はバッグとその中身。単刀直入に聞く、こちらの探り…
「二度の目の質問の手間が省けた、十分な収穫」 「負け惜しみ?」 「勝ち負けの概念はありません」 「もっともな意見ね。それには賛成するわ」 「その格好でここまでこられたのですね、あなたは」 「いけませんか?」 「電車に乗って帰りにくくありませんか…
「どちらで購入されたものですか、このバッグは?」 「借り物。持ち物は軽くしておきたいので」このバッグはブランド品、私は誤解をとくために言葉を付け加えた。「車を借りるレンタカー、そのような感覚。決して見栄を張ってブランド品を身につけているので…
「たびたび申し訳ありません」男が窮屈そうに奥に座り、通路側が女性刑事だ。女性は私とほぼ同年代、男性のほうは若干世代が上か、トラディショナルな髪型、不自由な大柄。女性が黙ってこちらを睨むように見つめる。二人とも飲み物は持っていない、機械は故…
食事の求め。忘れていた。私は飲食店を探した。壁に貼られたエレベーター脇のパネル。各階の大まかな紹介に指差し、上から下へと、大抵上階か下階と飲食店と相場が決まっている。時たま、中間あたりに喫茶店。しかし、休めそうもない騒がしい、表向きの演出…
巣穴を這い出す列。私の聴けなかった曲にも、笑顔の耐えない。後悔は何処へ。まあ、いいか。さすがに空腹、お腹は訴える悲鳴を幾度も上げていたっけ。用意された特別室の軽食はコーヒーを一杯飲んだ。食べ物は私の権利と感覚に従うまで。 受付に出る。警察に…
今日は頭が良く回る。気分が良いためかも。 アイラは楽屋へ引き返し、空席のソファに座った。取り出したギターを弾きはじめる。皆の視線が音に上乗せ。 ギターケースのポケットに入れた五線譜と鉛筆、そして譜面台を足元に引き寄せる。 空洞の体内、内なる声…
「おそらく、それで影響は八割方、回避が見込まれます」カワニは泣き顔に無理やり微笑を足したおかしな表情で続ける。「不本意ですよね?」探るようにきいた。わかっている質問は事実を確かめるためではない、安心と安定。 「起きてしまった過去に囚われる労…
見返りを求めない音はすべて私に返ってくる。妄信とは十二分に理解してる。刑事たちへの対応は心がこもっていない、儀礼としてのお辞儀を体現して、アイラは楽屋に引っ込んだ。ステージと楽屋の出入りは、いつの間にか許されて、ステージ脇のスタッフは楽屋…
新谷は手帳を取りして確認。「入れ替えるのはドリンクと軽食が足りなくなった場合のみで、一回目の公演終了後には、オレンジジュースとジンジャーエールを調理場から補充する手はずです。出払った観客を見送ってから行うようですね、ちなみに二回目の講演ま…
「鑑識の車両、遅れてるみたいですね」新谷が端末を見つめていた。「本部に戻るまで、まだかかる。結果は頼れなさそうです」 美弥都は後ろ手の二階へ上がっていった。熊田は、数歩遅れて急な階段を踏む。二階、ステージ正面の一段下がるカウンター席とその奥…
「所持品は持ち去られたと考えるべきか、それとも観客が所持しているのか」熊田は腰に手を当てる。 新谷は持ち込んだ意見に確信を持って言う。「いいえ、初めから会場に移動する前も受付には預けていなかった。そうですね、たぶんどこかで直接手渡した」 「…
「症状は毒物摂取に似た死因、ふうむ、飲まされたのが被害者にとっては毒だったんだろうかぁ……」熊田と日井田美弥都が無言で現場、被害者のテーブルに惜しみない愛情を注ぐ姿に、いたたまれなく、声を発したのだろう。熊田は若さは沈黙と飢餓に迫られると焦…
「考えに著作権は発生しない」 「どうも」熊田は美弥都越しに新谷に言う。「ビル内の出入り口を警官に見張らせてください。地上、地下へのエレベーターの乗り降りも禁止、なるべくエスカレーターの移動を促すように、強制ではないことを初めに伝えてください…
「もう無理ですよ!」心からの悲鳴。新谷は言う。「事情聴取が終わり、所持品検査のほかに何をすれば?配属されて一週間の私に何ができるというのですか?」 指示がなければ、動けない。若い年代に見られる傾向だが、与えられた事柄を命令のよう従う社会に移…
熊田の冷静な応対に佐山は、取り乱した発言を急遽撤回、上った血液は循環を求めて体内を廻り始める。「……そのようなつもりで言ったのではなく、はい、私が指揮を取ってする初めての捜査でして……」 「観客は一度、家に帰すつもりでしょうか?」美弥都がきいた…
熊田の勘は当たっていた。美弥都はかなり機嫌がいい。喫茶店での彼女とは、表情の柔らかさが格段に上。これが本来の彼女なのか、つまりお客への対応は仮面をかぶった状態。しかし、どちらが本心かは不明。だが、現状は確実に彼女へ私の印象はぐっと高まった…
「素敵なお召し物ですね」 「借り物です、私の所有物ではありません」 「どうやってこちらへ抜け出してこられたのか、理由の説明を」 「種田さんと言ったかしら、あの方と話しているところをドアマンの警官に見せて、あなたに用があると言って入れてもらいま…
場内の観客を、受付フロアに隣接、限定的な入室が許される会員特別室に移動させた。警視庁の刑事と鑑識による本格的な捜査が着手して、かれこれ二時間が過ぎていた。本来は二回目のアイラ・クズミの公演が行われる時間である。だが、観客はアイラの次回公演…
紫のネオンが背景を彩って、にこやかに顔がほころんだ。包み込んでくれるあの人。それは、何も持たないから。一つでも確信があったらな、たぶん、いいえ、絶対に取り込まれなかったはず。 歌うたびに、はがれた。 ほぐれた繊維状の外皮、小粒の石、粒の粗い…
カメラ、一眼レフのカメラ。私も持っている、同型のカメラ。もしかして、あれは私のでは? 撮影会。倒れた、亡くなった、これから無くなる、失った、灰と化す、自然に還る人物を撮り貯め。撮られた人物は見返すことが叶わないのに、身勝手な撮影。許可や著作…
「ドクターの専門は?」 「皮膚科です」 「申し訳ありませんが、そのまま速やかに席についてください」 「以前の専門は救急です」ドクターは眉を器用に上げる。「年齢に伴いまして引退したのですよ」 女性刑事は顔の角度をきつく、上階を眺める。二階に再び…
「ホーディング東京と肩を並べる箱が早々見つかりますかね」 「振り替え公演をまずは行うか、否かの判断を仰ぐことが先決。お二人に権限はあるんですか?」アイラは不躾とも取れる問いかけを難なく、言ってのける。スタッフは顔を見合わせ、困惑。どうやらひ…
埋め合わせ、新しい会場のセッティングと収容人数、今日と明日の二日間の延べ人数は?なぜ二度も同じことをしなくてはならないのか、できれば早々に反応がほしかった。 なんて稚拙、遅延。 人が亡くなるという稀有な状況を楽しめるのは歪んだ証拠、いや、そ…
ステージの歌手と目が合った。観客の何人かが歌手の目線を追って私を見据える。嫉妬か?人間の野性味は感情の発火に残されたのかも、熊田は思考を飛び越える動作と意識が通った観客の行動に意味付け。軽く頭を下げた。彼女の活躍の場を奪ってしまった非礼を…
美弥都との接触はこれほど緊張を強いるのか、熊田は息を切らせた呼吸を階段を上る足取りの重さに擦り付けず、正直に反応と向き合う。普段の彼女と別人の姿、元々の素養は備わっていたが、改めて見つめられると、彼女が一人を好む理由はわからないではない。…
「どうしてこちらに?」 「仕事です」 「ライブ鑑賞がですか?」冷やかすように熊田は揚げ足を取る。相手はそれでも、不変で無表情、皺一つ作ってくれはしない。 「こちらの料理を勧められたの、店長さんに。断りましたが、チケットが余っていたそうで、奥さ…
二階。コの字型に切り取られた空間に沿ってテーブルが並ぶ。一階客席の中空がそのまま三階、つまり四階の床まで吹き抜けになっている。ステージ正面を見下ろす並びは一段落ち窪んでバーのカウンターを思わせる一人のみの席、左右に抜ける細い通路の奥まった…
「エレベーターはどちらに」死体に見入っていた給仕係が一拍遅れて、ステージ袖を指差す。歌手が登場した場所とはステージを挟んで反対側。ほぼステージの正面であるこの角度から、出入り口は全容を確認できない。「料理に携わるスタッフのあなたを含めた人…