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面を上げよ、汝の示す方角へ、いざ行かん1-1

 引越しは全部一人で誰の助けも借りることなくやってのけた。普通のこと、見事さに拍手を送られる出来事とはまったく別次元の日常。この時期ならもっとも多い出来事の一種。誰が見ても、どこから来たのか、という文句が声をかけられるきっかけのようだ。荷物は少なくてよかったと思う。あれこれと日ごろから、一人暮らしの準備のため、物を処分していた甲斐があった。所詮、物は現在必要性を欠いているものは不必要と、一度決めてかかれば、捨てるのに躊躇いは見せない私がいた。アクセサリーは自分をよりよく見せるため、あるいは自分を高めてくれるもの、そんなものは必要ない。何もなくてもまずは私に従順であるべきなのだ。写真もすべて処分した、見られないようにシュレッダーにかけた、手紙も残さずに処分。必要だろうって、見返した記憶が呼び起きない、はい、それは一度も見てはいない、これからも見ないと同義。つまり、不要なのだ。そこに私はもう、いられないんだ。服もシーズンごとに着まわせるオーソドックスな服だけを確保、奇抜な形状の服はいずれ着なくなってしまうのが目に見えている。靴は三足。ビジネス、外向き用と普段使いにブーツのみ。必要に応じて買い足せばいい。だって足は二本しかないんだから。

 そうやって、私の部屋はすっかりがらんとしてしまった。次の働き場所を決めて、移り住んだのが一週間前。こちらは北国だけあってまだまだ気温は低い。だけど、暖房器具は持っていなかったので、ムートン素材のスリッパと毛布をかぶった室内の生活で何とか寒さを回避してた私である。

 単身、貯金を切り崩して、私は憧れの人物が働く店を訪問したんだ。覚えてる、震えがよみがえる大胆さだったものね。それからは王道の大胆不敵、というか堅実に段階を踏んだの。好きが講じてってどのすきを言ってるんだろう、とにかく、嫌々行う作業よりも私はめげずに好きなものを形にする、まあ、夢っていう非現実をね、体現したいと思ったわけですよ。これまた。うまくいきっこない、失敗するに決まってる、反対意見は、でも誰からも送られてこない。少々愛されてないんだってへこんだけど、あんまり人って私のことを見ていないって思い知って、さらに強さを鋼みたいに強化っていう、バージョンアップよね。飛び込みの面接は、難なくクリア。了解してくれた。海を見て、防波堤に座って、海を眺められただけでも、結構お得に思えた。雇ってもらえなくもいいかも、それぐらい会えた、話せただけでも満足に浸れたの。合否の返答を待つ間、防波堤に座った時、猫がその時に、私に擦り寄ってきたんだ。今では結構仲良し。同じ時間に同じ場所にいるからだろうって、初日、挨拶のとき、店の人に言われたけれど、でもうん、思い込みなら自分が生きやすいよう何でも信心深く、底の底まで思い込むのが私であるのさ。

 そう、面接は無事に合格した。倉庫か休憩室で憧れのあの人から伝えられた。もう、天にも昇る気持ち。問題は、いつから働くか、同じ職種だけど形式的な商品生産の仕事はしていた。ここへは休みを利用してやってきたのだ。工場みたいに思っていたから、いつでも私はその仕事に見切りはつけられた。でも、数ヶ月は今の所で働くようにってその人がそっと諭すように滑らかなクリームみたいな声で言ったっけ。頷きはしたけど、真意、つまりすぐに店で働かせないあの人の指示を私は、日常の仕事に戻って逐一何度も忘れそうになる単純な工程を繰り返す毎日で考えていた。すると、見えてきたことがあった。私は何も見てはいなかったのだ。体が覚えてしまっていたから、もう考えはどこか永久に隠れて追いやられたらしい。誰が食べるのか、何のための工程か、この順番と、次の工程までの生地を寝かせる待機時間は正確なのか、誰が測ったのか、決められた温度は最適だろうか、工程に無駄はあったか、味はこれで本当においしいと私は声を大にしていえるのか……。

 あの人はまず私に作業一つの意味を考えてもらう、それも私の可能性にかけて願ったんだ。もしも、私は安穏と夢見た職場での仕事にかまけていたら、送り帰されたかもしれない。