母の仕事は自宅が仕事場に活用されるため、自宅待機が長期間続いた。ただ、裏の様子は自室の窓からも確認できたし、近所や近くの公園でなら外で遊ぶ許可も下りていたので、外出を装って裏の家の外観を眺めた。
以前は、空き地であった場所にいつの間にかログハウス風の建物が建ったのか、正確な時期はわからない。ロッジというよりかは、別荘の思わせる風貌である。しかし、銀色の支柱にかかるチェーンが開放された場面は見たためしがない、僕が訪れる時間が悪いのか。
僕に接触した人物の所有物とは思えない。おそらくは買い上げたのだろう。
外出から帰った私はひどく叱られた。どうやら照度と帰宅時間は反比例と母は受け止めているようで、真っ暗でもまだ六時前の夕方に帰った僕を非常識と責め立てる。
母の怒りは脇に寄せ、彼女の怒りまでの経路を辿った。すると、ダイニングテーブルに散らばる、PC、イラストを添えたノート、殴り書きのメモ用紙、乾いたソースに皿とフォーク、背もたれのカーディガン、汚れた調理器具。
仕事の行き詰まりが僕の帰宅と重なったのだ、遅かれ早かれどのようなかたちでも、表出したのであるから、それは早い方がよく、しかも父にぶつけられないだけ十分。僕が彼女を受け入れて価値を認めようではないか。
自室に戻り、明日の登校に備えた教科書の入れ替えを行っていると、ドアがノックされた。母である。左目の心配を思い出したらしい。彼女からは僕は何を得られていたのだろう、非礼を詫びる母の頭に手を乗せたら浮かんできた疑問である。
死角が生まれた世界では、うん、良いことはまったくないように思うのだ。前向きに物事を捉えていても、それは相手の限りない剥離寸前の善意であり、捜索はかなりの労力を要するのだけれども、それはつまりは、善意ではないのかもと、反対の意見も最近では僕の内情を支配しつつあるのだ。母を許して、ご飯を私のためではなく、数時間後に帰る父のために作って欲しい、そう伝えた。本心だ、僕を影響力を高めるための手法に代用しないで欲しい。ただし、母は僕の心を悉く裏切って、自分を押し控えた人を立てる子供と誤って飲み込む。
制約のおかげで、食事は作られた。いつもであれば仕事が滞ると、母はデリバリーを使ってしまう。僕は食事に無頓着であり、それらに愛情を求めてはいない。でも、父は無言で味の感想を述べないが、家庭のことを母には任せているらしく、用意されていない食卓に帰ったならば、二日は口をきかないし、家では何も食べなくなる。飲み物を翌日買い込み、それで空腹をしのぐ。液体のみのストライキだ。