コンテナガレージ

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手紙とは現実を伝えるディバスである1-7

「何が?」

「試したいことです」

「曖昧だね」

「またはこれからのために余白をあけておいたのでしょう」

「ああ、うん、そうか。また新しい部署ができるかもしれないからか」鈴木は別の疑問を提示した。「そういえば、配布されたCDは、本当に社員全員が聞いていたんでしょうかね」

「監視する者がいたとは思えない」

「そうです。個人的な仕事をこなす、そこにただ他人を監視する仕事をわざわざ設けるとは、ちょっと考えにくい。かなり個人の裁量と良心に任せていたんですかね。仕事に活かしていたのはごく少数じゃないかと思うんです」

「理由は?」

「気分が乗らないとき曲を聴くと自然と例えばですけどデスクに向かっての作業でしたら、仕事をする体制には移れます。そして、無意識にでも操作できることからまず初めて、しかし、そこで深く考える行動を必要とするときは、音楽は邪魔になります。もちろん、気にならない人もいるかもしれないが、多くの人は僕のように音、特に歌詞、日本語が頭に入って思考を妨げる。もっと集中すると、単なるBGMに成り下がる事もありますけど、たまにですし、長くは続かない。やっぱり、みんな熱心に聴いて、それを活かしていたとは、僕は考えられませんね」

 ハンドルを握る熊田は別のことを考えた。

 真島マリと一緒に見つかった指輪はS市の鑑識の情報によれば、証拠となる皮膚組織は見つからなかったそうだ。丁寧に取り除いた形跡はあったらしい。彼女に好意を寄せた人物、犯人が置いていったのかもしれない。それはつまり、好意的な死の捉え方や一方的で抑えきれない感情が表れ。とても淡くてはかないもの、生と死の両方をリングで繋いで、契約を強化した。形は残り、揺らいだ意思は触り、取り外し、見つめ、またつけて、日々に戻り、一体となり、いつしか、それすらも忘れて、安定を体感、そして朽ちるまで、あるいは洗面台で見失うまで、寄り添う。さらに、手放して、見えない場所においてしまえば、思い出すだけ。